弥蘇場の湧泉
昭和18年(1943) 鎌田共済博物館蔵
別名野沢井ともいう。湧き出る水は清く澄み、味は芳醇で、どんな大旱にも涸れたことがないとされる。
景行天皇の時代の讃留霊王「さるれお」悪魚退治の伝説と、保元の乱(1156)後、配流(はいる)され、讃岐の地で没した崇徳上皇の遺体を浸し、勅使が来るのを待った場所としても知られている。なお、湧泉の傍らにある、[崇徳上皇御殯殮(ひんれん)御遺蹟]の碑は、昭和4年に建てられたもので、表の文字は鎌田勝太郎の筆によるものである。
殯殮 :遺骸を棺に納めたまましばらく安置すること